レイキは、日本発祥のヒーリングメソッドです。
ですが、その内容は発祥時とは大きく変わり伝わっています。
それは、レイキの発展の歴史と関わりがあります。

日本国内で伝わっているレイキの99%は「西洋レイキ」と云われ、日本で発祥し海外で発展し、再び日本へ伝わったメソッドです。
こうした経緯が、レイキの様子を大きく変えました。

ここでは、この「西洋レイキ」の源流である日本の伝統的な霊気の歴史をお伝えします。

 

明治・大正時代の「霊気」

日本では、江戸時代以前から伝統的に患部へ手を当てて治療する「手当て療法」が普及していました。

86069167_p現在のレイキ療法の形態にもっとも近いのは、大霊術師といわれた田中守平氏がおこなっていた「霊子療法」と思われます。
田中氏は長期断食をきっかけとして感得した宇宙万有の根本実体を「霊子(れいし)」と呼んでいます。
氏は明治43年に「太霊道真典」を書き、呼吸法、座法、お手当て、自動運動を組み合わせた「霊子療法」を病気治療に用いました。
誰でも修行で霊力を持てるとし、会員制で治療の施術や伝授を行なっていました。

大正3年頃には川上又次氏が、「霊気」を用いて治療を使っていたといわれています。
川上氏は大正8年に「霊気療法とその効果」を出版していますので、「霊気療法」という言葉を最初に使ったのは氏であろうと思われます。
誰もが容易に「霊気」を感得できるとし、治療や伝授を行っていました。

田中氏が使われた「霊子」や川上氏が使われた「霊気」が、今私達が使っている「霊気」と同じエネルギーなのかは分かりません。
例えば
「霊水」が「不思議なはたらきをもつ水」の総称であり各地に「●●の霊水」があるように。
「霊山」が「神聖で崇拝される山」のことであり富士山・白山・立山などがあるように。
「霊気」は一つのエネルギーの呼称ではなく、「神聖」であったり「不思議なはたらき」をする「気」の総称として使われていたとも考えられます。

第二次大戦以前、日本人は「不思議な気の力」を感覚的に理解し、生活に活用してきた歴史があります。
「霊気」も、特に名前をつけることもなく自然と使われてきたのかもしれません。

今日私たちが使っているレイキは、臼井甕男師が体系だてたものです。
ここでは、臼井師が構築したレイキを中心にご紹介していきます。

 

靈氣の肇祖 臼井 甕男(うすい みかお 1865-1926)

Mikaousui1レイキは、1922年に臼井氏が鞍馬山で21日間の断食と瞑想を満願し、宇宙と自己のエネルギーが同調しレイキを感得したと云われています。
氏は、レイキと同調した際に「宇宙即我」の悟りを得られたと伝えられています。

同年4月に、東京青山原宿に移住し、レイキを体系化し普及するべく「心身改善 臼井霊気療法学会」を創立(現在も学会は存続していますが、会員は募集していません)しました。
同時に、治療と霊授を開始。

1923年の関東大震災で治療効果が認められ急激に入門者が増えます。
当時の治療効果の高さがうかがわれるところです。

1926年3月9日、広島県・福山市にて脳溢血のため急逝。(享年62歳)
臼井氏の霊気治療および霊授は、約5年という短い活動になります。
この間、21名の師範(レイキマスター)を育成(現在、11名が判明)しています。

臼井氏に関わる記録は少なく、現存しているのは臼井師の公開伝授が記されている「霊気療法必携」のみになります。
「霊気療法必携」では、術者に精神性の向上を求め、精神統一の修養をもって治療するとしています。

 

霊気からReikiへの橋渡し 林 忠次朗(はやし ちゅうじろう 1879-1940)

mikao-u臼井氏が育成した師範の一人に、林忠次郎という海軍の元軍医がいました。
林氏によって、日本発祥の霊気は海外へ活躍の場を移すことになります。

1925年、臼井氏の勧めもあり独自に霊気を研究発展され、「林霊気研究会」を開所。
1932年、臼井氏の死後、「臼井霊気療法学会」と折り合いが悪くなり退会し、独自に治療活動をおこないます。

1935年、ハワイの日系人高田ハワヨ氏を治療。
1938年、ハワイを訪れた林氏は、帰国していた高田氏へ神秘伝の霊授をおこないます。
この霊授によって、霊気は海外へ伝わりReikiとなり発展することになります。

林氏が霊授した一人に山口千代子氏がいらっしゃいます。
山口氏は長年家庭生活の中でレイキを実践されてきました。
1999年、ご子息の山口忠夫氏が「直傳靈氣研究会」を発足し、林氏直伝のレイキを今日に伝えています。

1940年5月11日、伊豆別荘にて自殺(享年62歳)
9年間に13名のレイキ実践者、および師範(レイキマスター)を育成。

 

大正から昭和における伝統的霊気の特徴

臼井師が、第一の悟り「安心立命」(心を安らかにして身を天命にまかせ、どんなときにも動揺しないこと)を得られた後、次の悟りを求めて鞍馬寺で断食に入って感得したのが「レイキ」と云われています。

臼井師は、レイキを初めて受けた時に、宇宙と自分は全く同一のものと感じられたと伝わっています。

このレイキをもちいてい病気治療に当たられます。
この気を強くする方法としては精神性の向上を第一にあげています。
実践者に対し、精神統一をもって「無我夢想の境地」を創るための修養をうながします。
西洋レイキでは、「レイキは修行や集中はいらない」「ヒーリング中は何も考えずぼ~っとする」と教えることが多いですが、この点が伝統的なレイキと大きく違うところです。

「心身改善 臼井霊気療法学会」を退会後、活躍した方々

「臼井霊気療法学会」の1928年の会員数は約5000名、1930年には約7000名にふえています。
ただ、2代目会長の牛田従三郎氏の時代に、林忠次郎氏をはじめとして何人かの実力のある会員が退会し、独立しています。

こうした方々が、その活躍や著書をとおして臼井氏の技と精神を伝承されていることがうかがい知れます。

 「手あて療法会」-富田魁二氏

臼井式霊気療法を学び、「手あて療法会」を主宰。
41kFCRfi94L._BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA300_SH20_OU09_「手あて療法」の足助氏は、富田氏の高い治癒率を「医学界より先に副腎の手あてによって驚異的治病の成績をあげた手当療法家富田魁二先生のあったことは療術家の誇とするところである」と評価されています。

1933年、「霊気と忍術 富田流手あて療法」を出版。
自身が治療をした結果を分析し、治療方法を体系化されています。
霊気療法の症例が数多く記載されていて、当時の霊気療法が代替医療として実績があったことがうかがいしれます。
大正から昭和にかけて日本で育まれたの霊気療法の実態が分かる名著です。(ルビが目に痛いのが、残念)

「手のひら療治研究会」-江口俊博氏

eguti150臼井霊気療法学会に2年在籍し、1927年に退会し療治研究会」を設立。
退会された理由は、臼井霊気療法学会では入会金や霊綬に料金を要求することでした。
当時「臼井霊気療法学会」へ入会する際の入会金50円、各霊授ごとに50円(大正末期の大卒の初任給は50円~60円)の料金がかかりました。

氏は「霊気がもともと誰にでも備わっている能力であれば、料金を頂戴するのは理にかわなない」と考えられました。
手のひら療治は、昭和初期に『日本及日本人』の増刊特集号で「三日たったら誰でもできる」として特集され、当時大ブームになりました。

1936年、「手のひら療治読本」を出版。
この本は現在入手することはできません。
氏の「霊気はもともと誰にでも備わっている」と云う考え方をもとに「独学でも手当て療法ができる」という内容が伝わっています。

国内でのレイキの衰退

第二次世界大戦後、国内の霊気は衰退の一途をたどります。
その理由は、大きく分けると3点あったと考えます。

レイキと医師法
戦前の伝統的霊気は病気治療を目的としていたため、戦後すぐに成立した医師法・薬事法に接触します。
戦前ような病気の診断や治療方法の決定は勿論、治療目的の行為もできなくなりました。
また、終戦後の医学界は西洋医学が主流となり、日本の民間療法は継続が困難な状況となりました。

こうしたことが大きな要因でレイキは一気に衰退します。
今日も状況は同じで、日本でのレイキの位置づけは「ヒーリングメソッド」です。

レイキと西洋文化
戦後、連合国の占領政策によって日本の価値観は大きく変わりました。
レイキをはじめとし代替療法は、GHQによって一旦全て禁じられています。
この背景にある「科学的・客観的であることへの傾倒」は国内に浸透し、「非科学的・エビデンスのないことへの蔑視」が育っていきます。

代替療法の中でも「鍼灸あんま」は関係者の努力によって法的にも復活しますが、レイキは「法的な復活を求めず」国内では忘れ去られることになります。
現在も「科学的である」ことへの傾斜が続いていることを考えると、戦後教育について改めて考えさせられます。

レイキの源流「臼井霊気療法学会」の在り方
臼井霊気療法学会は、二代目牛田会長以後、臼井氏の教えである一般公開がなくなりました。
また退会者も増えます。
退会された林氏、富田氏、江口氏はその後社会的にも治療面でも活躍されます。

現在、臼井霊気療法学会で霊気療法を受けられるのは「会員とその家族だけに限定」と云われ、入会も紹介のみと伝わっています。
団体の存在をしめす資料やホームページの公開はなく、何らかの登録などもありません。
戦後は、対外的な活動がみえなくなりました。(6代目の小山会長の時代に若干外部との交流あり)

レイキの源流、日本の伝統的な霊気のまとめ

レイキが当時の日本で活躍したのは、国民のなかに「気を感覚的に受け入れる力」があったことと、大きくはレイキの治療効果が高かったためだと、思われます。

当時活躍された施術家の著者や活動を紹介する書物を読むと、当時の方々が精神性を重んじていることが分かります。
施術にあたって「精神統一-無我夢想の境地」を創るための修養をすることをうながします。
この点を考えると、レイキのトレーニングとして「呼吸法」と同様に「瞑想」も重要なポイントだと言えます。

臼井氏や林氏、当時の方々の「霊気療法指針」は、ヒーリングをするうえで、とても参考になります。
私も、学んでいきたいと考えています。

list_3 レイキの歴史2-「霊気」から「Reiki」へ
list_3 レイキの歴史3-「レイキ」の発展